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芝川家とは

1912(明治45)年に千島土地株式会社を設立した芝川家は、江戸時代より、大阪を中心に何代にもわたって多数の事業を手掛けてきた一族です。「千島土地 アーカイブ・ブログ」の初回は、芝川家がどのような一族であったのか、家系図をご覧いただきながら、その概要をご紹介しましょう。

まず、芝河多仲、この方が芝川家の祖とされる方です。対馬の出身で、京都で医師をしておりました。

多仲の娘・わかに婿入りしたのが、京都室町の呉服商・百足屋 奥田仁左衛門家で手代をしていた新六です。新六は後に、大阪淀屋橋筋浮世小路に独立し、やはり「百足屋」の屋号で呉服商を営みました。

新六には男の子がなかったことから、長女・たきが、兵庫県有馬郡大河瀬村・城戸家の手代であった藤助を婿に迎えます。藤助は、新六の没後、新助と名を改め、1837(天保8)年頃より、大阪伏見町4丁目に移り、唐物商(貿易商)を始めました。この新助の代より、“芝河”から“芝川”になったと言われています。

新助の長女・きぬに婿養子として迎えられたのが、のちに初代・又右衛門となる中川利三郎です。初代・又右衛門が大阪伏見町心斎橋筋において唐小間物商として独立したことで、芝川家は「百足屋又右衛門(百又)」と「百足屋新助(百新)」に分かれることになります。

「百又」芝川家として独立後、又右衛門も商人として成功、大いに財を成しますが、1883(明治16)年、突如唐小間物商を廃業し、土地の購入を始めます。これには変動の時代、唐小間物商は目利きのいる危険な仕事であり、徒に財産を増やすことに固執するよりも、これまでに築いた財産の守勢こそ重要であるとの又右衛門の深慮がありました。以後、二代目又右衛門、又四郎と、土地・不動産の運営が芝川家の主な事業となり、現在に至るのです。

■参考資料
『小さな歩み ―芝川又四郎回顧談―』、芝川又四郎、1969(非売品)
『日本を創った戦略集団 建業の勇気と商略』、堺屋太一責任編集、集英社、1988

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