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大阪伏見町 芝川家「旧洋館」

大阪市中央区伏見町は、芝川又右衛門(初代)の代から芝川家の本邸が構えられた場所で、百足屋又右衛門“百又”発祥の地と言えます。

この場所に、1890(明治23)年に建てられたのが、この「旧洋館」と呼ばれる建物で、芝川家の事業を行っていた「芝川店」の事務所として利用されていました。


(千島土地株式会社所蔵資料 P22_002)

1890(明治23)年の大阪では、まだまだ洋風建築が珍しかった時代。芝川家の「旧洋館」は、小規模ではありますが、公共建築でも銀行建築でもない、一商家が建てた洋館としては、非常に早い時期の建物であると言えます。

ではなぜ、このような早い時期に、芝川家は洋風の事務所を建てたのでしょうか。

この「旧洋館」建築当時、7歳であった芝川又四郎の回顧録には、又四郎の祖父・芝川又右衛門(初代)が、懇意にしていた初代住友総理事・広瀬宰平から「君の家は旧弊だから、この際すっかり改革せよ、建物も洋館にせよ」という教えを受けたと書かれています。事実、「旧洋館」建築の2年後である1892(明治25)年には、芝川店に住友から新しい支配人・香村文之助を迎え、帳簿や規則を洋式に改める改革が行われています。このことからも、“洋風”の事務所が建てられた要因のひとつには、店の経営を近代的なものに転換する目的があったと言えるのではないかと思います。

洋館が建ったことで、これまでは和風建築の中、正座で執務を行っていた店員の人達は、椅子に腰掛けて執務を行うことになりますが、店員の多くが、椅子は足がだるいからと四角い台を用意し、その上にござ、座布団を敷いて、正座をして執務をしていたとか。
現代、椅子式の生活に慣れた私達の多くは、正座が苦手ですが、当時はまさに、その反対のことが起こっていたという興味深いエピソードです。明治時代の人々も、急激な西洋化に自らの身体を慣らしていくのは大変だったのですね。

■参考資料
「小さな歩み ―芝川又四郎回顧談―」、芝川又四郎、1969(非売品)

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