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芝川家刊行文献「芝蘭遺芳」

「芝蘭遺芳」は、芝川又四郎が祖父・又平(初代又右衛門)、父・又右衛門(二代目)の没後、その事歴を記録して往時を偲び、両故人の冥福を祈ることを発念してまとめられたもので、又平の33回忌、又右衛門の7回忌にあたる1944(昭和19)年に刊行されました。

編者を務めたのは津枝謹爾氏。津枝氏は芝川家の事業に携わっていましたが、又平の死を契機に住友倉庫に転勤し、その退職後は又右衛門の秘書となりました。又平、又右衛門の二代にわたって芝川家を間近に見て来た人物の一人です。

津枝氏は生前の又右衛門から自叙伝の編纂を依頼されていたといいます。しかしながら、又右衛門が健康を害し、帰らぬ人となってしまったことからこの自叙伝は実現せず、後年になって息子の又四郎から伝記の編纂を依頼されたのです。津枝氏は、自分はこのような書物編纂の大任を果たすことはできないと一度は辞退しますが、又右衛門の遺嘱を思って筆を執ることにしたと述べています。

津枝氏が「自ら語るのではなく、資料をして語らせる方針をとった」と述べている通り、芝川家所蔵の文献が多数掲載された、歴史資料としても大変充実した内容となっています。


「芝蘭遺芳」に掲載された芝川家蔵の資料
(上:唐物貿易当時の送り状、下:大福帳)


「芝蘭遺芳」表紙。非売品ですが、二百部が印刷されたようです。
表紙に見られるのは又平の図案による芝川家紋どころで、「瑞芝録」の表紙にも同じ印が見られます。


「芝蘭遺芳」題字
文中に、又右衛門の心友であった河上謹一氏より題辞を賜ったと書かれていますが、これが河上謹一氏の書によるものでしょうか。


題字の次のページに綴じ込まれたものです。
「太拙老?題」と書かれ、落款が押されていますが、現在のところどなたの手による書か特定できていません。
「良賈深蔵」とは、史記「良賈深蔵若虚:良賈(りょうこ)は深く蔵して虚しきが若(ごと)し」の一部です。良賈(良い商人)は本当に良い商品を持っていても表に飾ることはせず、店の奥深くにしまっておくものだ・・・能ある鷹は爪を隠すといった意味でしょうか。又平、又右衛門の両人を表した言葉なのでしょう。


書名「芝蘭遺芳」のもととなった書幅「芝蘭百世栄」画像
(「小さな歩み ―芝川又四郎回顧談―」掲載)
貫名菘翁筆の書幅で、又右衛門が大切に所蔵していたものです。

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「芝蘭遺芳」概要(目次
第一編.幽香 其の一、其の二
長年、津枝氏が傍から見た又平、又右衛門にまつわる様々なエピソードを通じて、幽香 ―奥ゆかしく、ほのかな香り― を秘めた両者の人柄に迫っています。

第二編.芝川家々系
芝河多仲からの芝川家の家系を、主に「瑞芝録」に拠って簡単に紹介しています。

第三編.百々翁の生立
芝川又平(百々)の生立ち、手がけた事業等について「瑞芝録」を骨子として記述しています。文脈に合わせて掲載された多数の史料が、「瑞芝録」の内容を考証するのに大いに役立っています。

第四編.得々翁の生立
芝川又右衛門(得々)の生立ち、事業をはじめ、その趣味人としての活動にも触れられています。自叙伝の存在しない又右衛門について知るにこの上ない、大変貴重な内容です。

第五編.温故 其の一、其の二
芝川家所蔵資料より、主に幕末の対外貿易に関する資料が多数掲載されており、その沿革・概要を窺うことができます。

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百々翁は創業の偉人にして得々翁は守成の傑士なり―――
芝蘭とは、霊芝(れいし)と蘭(ふじばかま)のことで、優れたものや人を譬える言葉でもあります。激動の時代を生き抜き、幕末から近代にかけて大阪に大きな足跡を残した又平、又右衛門父子(芝蘭)。二人は既にこの世になくとも、その事蹟はまさに芳しい幽香として後世に遺(のこ)っていくことでしょう。

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