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芝川 又三郎

芝川又三郎は、二代目芝川又右衛門の長男として明治9(1876)年に生まれました。

4歳で母を亡くし、祖母・きぬに育てられますが、病弱であったこともあって就学せず、家庭教師から謡曲や習字、絵画、漢籍などを学びます。*)

しかし、初代住友総理事・廣瀬宰平氏からこういった教育法は時代にそぐわないとの忠告を受け、14歳で高等小学校2年に編入。首席で卒業後、大阪府立尋常中学校を経て、明治29(1896)年9月、熊本の第五高等学校へ入学しました。


中学校時代の又三郎(千島土地株式会社所蔵 P12_025)

この年満20歳となった又三郎は、父・又右衛門の命により志願兵として大阪歩兵第八連隊に入隊します。高等学校入学直後、学業の途上での入隊に当初又三郎は意義を唱えますが、「発育盛りの20歳前後に規則正しい軍隊生活を送るのは理想的な健康方法であり、大学卒業後に年をとってから兵役につくのはつらいから」との医師・清野勇氏*2)の勧告を受けた又右衛門の説得に従うことになります。

大阪での1年間の兵役生活を終えた又三郎は熊本での高等学校生活に戻ります。この頃、英語教師として五高に赴任していた夏目金之助(漱石)の授業を受けたそうで、ディケンズの『クリスマス・キャロル』を習ったのだとか。


熊本第五高等学校(千島土地株式会社所蔵 P27_024)
この写真は、又三郎自身が撮影した写真である可能性が高い。

五高卒業後、明治33(1900)年に京都帝国大学法科大学へ入学し、学業のみならず、時折召集される軍事演習に励みながらも、各地を旅行したり、趣味の狩猟や写真を楽しんだりと充実した学生生活を送ります。しかしながら、論文「日本小工業之前途」を書き上げ、卒業試問を間近に控えた明治37(1904)年3月、日露戦争へ召集されます。中途で学業を絶つことを遺憾に思った又三郎は、在阪の講師に卒業試問を実施してもらい法学士号を取得、大学を卒業後、1月も経たない4月23日に大阪築港より出征しました。


出征前の又三郎(千島土地株式会社所蔵 P11_023)

召集された3月6日に記された弟・又四郎宛書簡に、召集に際しての又三郎の心情を窺うことができます。
「・・・小生一身上に取りては出征は遺憾に候へ共、国家の為余儀なき事に候、過日も申通り貴君は小生の如き運命とならざる方法を講ぜられ度候、・・・芝川の国家に対する貢献は小生一身にて充分と存候、生還は期し難く全家の責任は先貴君の双肩にかかり候間、第一身体に注意し、第二に知識を磨き芝川家をして永続せしめん事を祈上候、・・・」

出征後間もない5月26日、日本軍が大きな損害を受けた激戦・南山の戦いで、又三郎は敵の銃弾を受けて重症を負い、2日後の5月28日に戦死を遂げます。享年29歳。

* * *

志願兵陸軍歩兵中尉・芝川又三郎の戦死は、芝川家はもとより、その周囲にも大きな衝撃を与えました。

その様子について、当時芝川商店の店員で、後に又三郎の妹・エンの夫となる塩田與兵衛氏が、その著書「芝川得々翁を語る」の中で以下のように記しています。

「翁(筆者注:二代目芝川又右衛門)の人格が私に最も強く響きましたのは、長男又三郎中尉が日露戦役に南山で戦死された時でありました。・・・当時既に有数の資産家である伏見町芝川家の長男で、まだ世間に数の少なかった法学士で、殊に南山で戦死された時の、日の丸の扇子を開いて部下の進撃を指揮して居られる錦絵迄、御霊神社前の版画屋の店先を賑はして居った、志願兵出身芝川中尉の葬式が、時を同じうせる近傍の志願兵出身将校の葬式と、格段の差を以て質素簡明に行はれましたのは、軍国の世の中によき清涼剤として、無言の警告を世間に与へた観がありました。以後多少葬式の風が改まったやうに感ぜられました。私は芝川の当主は余程偉い人だと云ふ感じを得ました。」

日露戦争をポーツマス条約へと導いた日本海海戦で、日本海軍が大きな勝利を収めた後の明治38年6月、第四師団の計らいで又三郎の追悼式がとり行われます。式には親戚知人はもとより、小学校や中学校の生徒も団体で出席したと言います。

*)記録によると、就学前に又三郎が学んだとして記録にあるのは以下の通り。
 謡曲(生一佐兵衛)、習字(三瓶浩齋)、漢籍(浦上三石)、詩法(田中牛門)、絵(西山完瑛)、抹茶(磯矢宗庸)、囲碁(湖水氏)

*2)清野 勇(1848嘉永元年~1926昭和元年)は、現在の岡山大学医学部や大阪大学医学部の基礎を築いた医学教育者である。清野が少年時代、伊豆国那賀郡中村(明治18年に那賀村に改称)の、土屋宗三郎(三餘)の塾で学んでいたことは知られていない。

■参考資料
「紫草遺稿」、津枝謹爾編輯、芝川得々、1934
「児童生活第六十八号別冊 紫草の生涯」、庄野貞一
「芝川得々翁を語る」、塩田與兵衛、1939
「小さな歩み ―芝川又四郎回顧談―」、芝川又四郎、1969

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