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二代目・芝川又右衛門 ~もうひとつの「香山集」~

前回のブログでは、二代目又右衛門の傘寿記念に印刷された「心経両便」と「自警訓話」からなる「香山集」をご紹介いたしましたが、当社社内にはそれとはまた別の「香山集」があります。


こちらの「香山集」は、先述の「心経両便」、「自警訓話」の2冊に「得々和歌集」、「得々詩集」、「得々俳句集」の3冊を加えた“ゴージャス5冊版”。

和歌集、詩集、俳句集は、それぞれ得々(二代目又右衛門)が和歌、漢詩、俳句を学んでいた折の作品を集めたもので、書類整理の際に筐底にしまってあったものを側近の強い勧めにより印刷したものです。いずれも学習途上の作品で、二代目又右衛門はこれを印刷することにやや抵抗があったようですが、移り変わりの激しい時代の中で昔を偲ぶよすがになればとの思いもあって製本に踏み切り、親族や芝川店店員などより身近な人々に配られました。

さて、二代目又右衛門が修めた習い事については、「芝川又右衛門事歴」に記述があります。

それによると、幼い頃より漢籍を河野春颿に師事し、春颿帰郷の後は浦上三石に、三石没後は田中牛門*)に学びました。牛門には漢詩と共に和歌についても教えを受けており、「得々詩集」、「得々和歌集」は牛門に師事していた頃の作品を集めたものです。


山内愚僊筆「田中正文先生肖像」(千島土地株式会社所蔵資料 P11_049)

俳句は1922(大正11)年、70歳の頃に八千坊支仙に入門して2年間学びます。「得々俳句集」はこの頃の作品を集めたものですが、本邸のあった西宮甲東園や須磨の別荘をはじめ、京都、箕面、高谷宗範の「木幡山荘」などで詠まれている他、「宝塚少女歌劇を見て」作句したものもあり、当時の暮らしの一部を垣間見ることができるという意味でも興味深いものです。 

*)田中牛門
名は正文、通称 新太郎牛門と号し、別に千尋の舎竹影と称する。深く経義に通じ、旭道一、藤澤東涯等との交流があり、また和歌を熊谷直好に学んだ。世間で名を上げることを求めず、請う者があれば経書(儒教で重視される文献)、和歌を教え、1902(明治35)年2月16日、86歳で没。

■参考資料
「芝蘭遺芳」
http://blog.goo.ne.jp/chishima-archive/e/9fdfd9b0a570fbbf9d12d445e90482fc
「芝蘭遺芳」、津枝謹爾編輯、芝川又四郎、1944(非売品)
「芝川家記録抄 家長原簿」、近藤就運書

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