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芝川家の「家法」

明治維新の時代の変動を乗り越えた日本の富豪や名門の家の中には一家の者が守るべき決まりごとを定めるところが多くありましたが、芝川家にもそうした文書が残されています。

現存するそれら史料の中で最も古いのが『瑞芝録』に収められている「家憲」と「規則」です。

「規則」は事業に関する取り決めを定めたもの。その冒頭に「今般示談の上、規則改正致し候につき…」とあることから、芝川家にはこれに先立つ何らかの決まりごとが存在したことがわかります。しかしながら、その内容がどのようなものだったのかは残念ながら知ることができません。

また「規則」の最後には「明治九年丙子一月元日」の記述がありますが、この前年に初代・芝川又右衛門が息子の二代目又右衛門に家督を譲っています。

一方「家憲」には日付の記載はありませんが、芝川家財産の運用・継承に主眼が置かれた内容であることから、「規則」と同じ頃、初代又右衛門の隠居に際して、初代又右衛門が自ら築いた財産を安定的に後世に受け継ぐために定めたものではないかと思われます。

初代又右衛門は芝川家入婿後、唐物商(貿易商)として財を成し、百足屋又右衛門(百又)の祖となり、1878(明治11)年から土地の購入を始めます。土地を購入したのは銀行にお金を預ける代わりに財産を保全する方策だったと言われていますが、1886(明治19)年には唐物商を廃業し、不動産業に転じました。

この芝川家の大きな転換の時期に定められたであろう「家憲」「規則」は、財産の維持・運用に対する初代又右衛門の基本的な考え方を窺うことができる貴重な史料なのです。

芝川家の「家憲」「規則」はこの後も時代に応じて改定されていったようで、社内には「芝川家々則」(昭和十七年十二月十日現行ニ依リ整書)や「芝川家則」(昭和三十七年四月一日より実施)も残されています。

前者「芝川家々則」がいつ頃成立したものであるかはわかりませんが、明治期に初代又右衛門により定められた「家憲」「規則」とは大きくその体裁を異にしており、またその内容には住友家家法との類似点が見られます。

日本では1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布前後から華族・商家・地主の諸家で家憲制定の動きがあったそうですが、その頃に成立した名門緒家の家憲の中には1882(明治15)年に制定された住友家家法の影響が色濃く見られるものもあります。

住友家家法制定に主導的な役割を果たした初代総理代人・広瀬宰平とも親交が厚く、また1892(明治25)年には芝川店支配人として住友から香村文之助を迎えるなど住友との関係が深かった芝川家においても、その家憲成立にあたり住友家家法を参考にした可能性は大きいと考えられます。

芝川家事業は広瀬や香村といった住友の人々との関係の中で明治20年代に経営の近代化が図られており、家憲についても、その頃に何らかの大きな変更があったのかも知れません。

■参考資料
「近代住友家法の成立・伝播と広瀬宰平」(住友史料館報 第三七号抜刷)、末岡照啓、平成18
「瑞芝録」、芝川又平口述、木崎好尚編(非売品)
「小さな歩み ―芝川又四郎回顧談―」、芝川又四郎、1969(非売品)
千島土地株式会社所蔵資料 B01-001 「芝川家々則」
千島土地株式会社所蔵資料 B01-002 「芝川家則」
千島土地株式会社所蔵資料 B01-004 「家憲、規則」

*追記(2010/07/05)*

この記事を書いた後日、『芝蘭遺芳』に芝川家の家法についての記事を発見しました。

それによると、恐らく1874-1875(明治7-8)年以前に初代・芝川又右衛門が「家憲」を定めたと記述されていました。これは「規則」にやや先立つ時期であるものの、やはり初代又右衛門の隠居に際した時期であることに変わりはないでしょう。

また更に興味深いのは、1893(明治26)年頃に二代目又右衛門が「家則」を制定し、それが『芝蘭遺芳』の筆者でもある店員・津枝謹爾の意見を容れて変更されたという記述です。

そのいきさつは以下のようなものでした。

制定された「家則」が店内で回覧された際、当時23歳の津枝謹爾は言葉が難しく内容に時代錯誤な点があると感じ、当時の支配人・香村文之助(1892(明治25)年に住友より芝川店支配人に就任)にそう意見したところ、香村も同感としてそのことを又右衛門に申し伝えました。又右衛門は本件に関し会議を招集し、結果として「家則」の起案が津枝に委ねられることになりました。津枝は住友家その他諸会社の定款、規則等を参考として成案を提出し、それが採用され、芝川家の「家則」として制定されたというのです。

後年、『芝蘭遺芳』の執筆に際して津枝は、今振り返ってみれば弱冠23歳の若輩者が発布された家法に向かって意見するなど無鉄砲で驚く外ないが、旧案の撤回に踏み切り、ましてや若造の自分に新たな起案を命じた又右衛門の雅量の大きさには敬服のほかないと、親しく仕えた亡き二代目又右衛門の人柄を偲んでいます。

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