明治42(1909)年、神戸六甲山麓岡本に西本願寺22世法主・大谷光瑞の別邸「二楽荘」が竣工しました。
大谷光瑞は中央アジアに探検隊を派遣して探検・調査活動を行いましたが、
二楽荘本館は支那室、印度室、アラビヤ室、英國室など各国の様式にちなんだデザインの12室からなる建物で、
設計監修を行った建築家・伊東忠太をして「本邦無二の珍建築」と言わしめた建物でした。
芝川家には、その二楽荘の写真が残されています。
これらはいずれも二楽荘竣工の1ヶ月ほど前の明治42(1909)年8月15日に撮影されたものです。
▲二楽荘本館(千島土地株式会社所蔵資料 P12_053)
建物前の建築資材が工事中であることを物語っています。
▲二楽荘庭園(西半分)(千島土地株式会社所蔵資料 P12_054)
庭園の植物もまだまだ成長過程のように見えます。
▲二楽荘本館にて(千島土地株式会社所蔵資料 P12_046)
本館のどこで撮影したものでしょうか。
中心の詰襟姿の青年が芝川又四郎です。当時は京都帝国大学の学生でした。
この写真の裏面には写っている人物名が記されています。
後列右の男性は「柱本氏」とあるのですが、大谷光瑞の側近であった柱本瑞俊でしょうか?
神戸六甲の地で栄華を誇った二楽荘も、大正3(1914)年に久原房之助の手に渡り、
竣工から30年弱の昭和7(1932)年に不審火により焼失してしまったのでした。
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