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村山龍平と芝川家

2018年3月に「中之島香雪美術館」がオープンし、香雪翁こと村山龍平氏への関心が高まっています。

様々な大阪実業界の実力者と交際があった芝川家ですが、村山氏とは特に懇意だったようで、初代又右衛門(又平)、二代目又右衛門の2代にわたり、共に様々な事業に取り組んだほか、茶道を通しての親しいお付き合いがありました。

この機会に両者の関わりを詳しく見ていきたいと思いますが、まずは『村山龍平伝』から、村山氏と芝川の出会いのエピソードをご紹介いたします。

『村山龍平伝』によると、村山氏と芝川家(初代又右衛門)の最初の接点は、伊勢度会郡田丸の士族であった村山氏が、明治4年に大阪に移住し、裸一貫で西洋雑貨商を始めようとした時のこと。当時貿易商として成功していた初代芝川又右衛門を訪ね、取り引き等についての指導を受けたといいます。

この時、龍平は別段予て知り合いの間柄でもなく、また誰の紹介によって会ったのでもなかった。突然訪ねて行き、ただ「自分は伊勢から出て来て今度新たに洋物屋をやるのだから、よろしく頼む。また何か心得になることでもあれば聞かせてほしい」と店先で熱心に、かつ慇懃に挨拶を述べて頼み込んだ。

その率直な態度に芝川又平(初代又右衛門)は大いに動かされた。が、またいかにも武士が急に算盤を持ち替えたようで、商売慣れしていないのをみて、先ず「商売人になるお人柄とはどうも見えない。殊に勝手の分からぬ洋物などの商売は先ず止めた方がよいでしょう」とこれまた率直に忠告した。

しかし一旦決心した龍平は決して人のいったこと位で初志を翻さぬ。「自分は大決心でやり出したのだから、何卒ご迷惑であろうが、ご交際願いたい」と重ねて頼み入れた。

芝川もその熱心な態度に動かされて遂に商品の取引を承諾した。

芝川との交渉の進むにつれて、主人(又右衛門)は段々龍平が夜郎自大の徒に属するものでなく、率直にして分別に富むことを知り、互いに肝胆相照の仲となり、…(『村山龍平伝』より)

これは、嘉永3(1850)年生まれの村山氏が21歳の頃のこと。初代又右衛門は文政6(1823)年生まれですから、村山氏とは親子ほどに年が離れていました。そこへ「アポなし」「飛び込み」で訪ねて来た龍平。

村山氏と芝川の交際はここから始まったのです。

■参考資料
『村山龍平伝』朝日新聞大阪本社社史編修室、1953

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