明治12(1879)年、二代目芝川又右衛門、村山龍平ほか大阪の実業家9名が発起人となり、「大阪共立商店」を創設しました。
大阪共立商店は、明治11(1878)年に日本に紹介された英国の「協力商店(Co-operative Store)」にならった消費組合で、当時、「会社」や「商社」と称して資金を募り、出資者をだまして損害を負わせるケースが続出していたため、こうした組織の健全性・正当性を広く社会に喧伝(けんでん)しようと設立が企図されたものです。
消費組合としては、同年に設立された東京の「同益社」に次ぐ、全国で二番目の設立でした。
広く一般から募集した社員(株主)の出資金をもとに日用雑貨をまとめて購入し、相場に即して社員に販売する方式で、取扱商品は、日常生活に不可欠な米、薪、炭の3品に絞り込み、社員には、これら3品について、自ら使用する分は必ず共立商店から購入することが義務づけられました。
大阪共立商店は営業開始と共に大きな反響を呼び、続々社員加盟の申し込みがありました。
このため、米、薪、炭を取り扱う商人が脅威を感じて大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)に共立商店の解散を求めたこともあったと言います。
明治13(1880)年には相当な利益があり、社員数も230名に及んだとされていますが、その後の消息は明らかではありません。
恐らく、この時期の他の消費組合と同様、数年で消滅したのではないかと考えられますが、大阪共立商店は、後に全国津々浦々に設立された消費組合(戦後の消費生活協同組合)のさきがけとなりました。
■参考資料
『村山龍平伝』朝日新聞大阪本社社史編修室、1953
『大阪府生活協同組合連合会50年史』大阪府生活協同組合連合会、2004
※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます