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村山龍平と芝川家6 茶道・十八会

■参考
村山龍平と芝川家
村山龍平と芝川家2 朝鮮貿易
村山龍平と芝川家3 大阪共立商店
村山龍平と芝川家4 三平舎(三平株式会社)
村山龍平と芝川家5 大阪殖林合資会社
追記・村山龍平と芝川家5 大阪殖林合資会社 経営地写真

7月7日(土)から9月2日(日)まで中之島香雪美術館において開催されている開館記念展の第三期「茶の道にみちびかれ」では、茶の湯の会「十八会」についても紹介されています。

「十八会」とは、関西を中心とした実業家18名が参加する茶の湯の会で、藤田伝三郎、上野理一、村山龍平が発起人であったといいます。会員が持ち回りで幹事を務め、毎月18日に自邸で茶会を開きました。

二代目芝川又右衛門もこの「十八会」の会員でした。芝川家の記録によると、明治35年1月に山中吉郎兵衛邸に集まり、会の名称を「後楽会」にすること、会員は20名以下とすること、毎月18日に幹事の自宅で茶会を開催すること、7~9月は暑中のため休会すること、煎茶、抹茶は随意であること…といった「十八会々規」が定められます。

続く第2回は松本重太郎邸で開催され、この席において、籤によって下記のように幹事が決められました。

第3回 明治35年3月 村山龍平
第4回     4月 樋口三郎兵衛
第5回     5月 田中市兵衛
第6回     6月 田村太兵衛
第7回     10月 嘉納治兵衛
第8回     11月 藤田伝三郎
第9回     12月 住友吉左衛門
第10回 明治36年1月 高谷恒太郎
第11回     2月 西村輔三
第12回     3月 上野理一
第13回     4月 阪上新次郎
第14回     5月 磯野小右衛門
第15回     6月 芝川又右衛門
第16回     10月 嘉納治郎右衛門
第17回     11月 豊田善右衛門
第18回     12月 小綱與八郎
第19回 明治37年1月 殿村平右衛門

そして村山邸で開催された第3回。中之島香雪美術館の展示では、ここで実際に使われたお道具類を拝見することができます。そしてこの時に会の名称が「十八会」に改められました。

さて、芝川は明治36年6月の第15回を担当。大阪市中央区伏見町の芝川家本邸と、その南隣に建ち、「中裏」と呼ばれた道修町別邸(隠居屋敷)での開催でした。残念ながら当社に資料は残っていないのですが、武庫川女子大学の管宗次教授が所蔵しておられる芝川家旧蔵の茶会記にしたがって、この時の模様をご紹介したいと思います。少し長くなりますがお付き合い下さい。

<招待状>
※異体字や旧仮名遣いは常用漢字や現代仮名遣いに直して表記しています。
※判読できない文字は●で記しています。
拝啓 陳は来る十八日拙宅にて十八会開催●候間 同日午後二時より三時迄の内御●●御来臨下されたく ●覧に●するもの之無もご遊覧下され候はば大慶奉存候 追って御愛蔵品一二点ご携帯被成下度 当準備の都合之有候間 お差支えの節は予め御一報下されたく候 道修町心斎橋東へ入る北側の入口より御入来下されたく候 六月 芝川又右衛門

文中に「御愛蔵品一二点ご携帯下されたく」とありますが、十八会の規約には、30円以上の品に限り一品持参し、入札によって売却することと記されています。他にも、持参者が売らずに引く時は、10円の罰金が科せられ、高札人(最高値をつけた人)がこれを取得すること。入札に際しては5円を出し、これは2番札の人が取得することなどが定められていました。

更に当日の入口について、「道修町心斎橋東へ入る北側の入口」と書かれていますが、以下平面図の道修町通り沿いの入口(①)のことを指すのでしょうか。伏見町本邸の入口(②)に比べると裏口のようにも見えるのですが…。


伏見町芝川本邸(上)と道修町別邸(下)(千島土地株式会社所蔵資料B01_230)

<出席者>
西村輔三、豊田善右衛門、殿村平右衛門、嘉納治兵衛、田中市兵衛、田村太兵衛、高谷恒太郎、村山龍平、上野理一、山中吉郎兵衛、松本重太郎、藤田伝三郎、小綱與八郎、阪上新次郎、住友吉左衛門、芝川又右衛門 以上16名

<各室のしつらえ>
※特定或いは推測できる部屋については、上記平面図に番号を付していますので、当日の動線を想像しながらご覧下さい。

○待合席 広間

床>応挙 龍の幅 
  吉野山料紙文庫硯箱
書院>花生砂張釣り船遠州公箱書付
   花 時計草 萩 丸葉白 秋海棠

○六畳之間

床>辺寿民 松の幅
  白錆手提籠果物盛り合せ
  カントン木瓜実 八ツ頭芋 牡丹の実 瓢柑 桜の実

○次之間
襖>半江筆天保九如

○抹茶席 松花堂好(平面図③)
※茶室「松花堂」について詳しくは過去記事「松花堂の建築」をご参照ください。

床>張即之書 松花堂箱書八幡伝来
  花生 時代竹組掛籠
  花 大山蓮
風炉>透木 了全作
羽釜>宗品 雲花
水差>唐物薬鑵
茶碗>青井戸小服 銘浅香山
替茶碗>ノンコウ黒在印 藪内竹以箱 銘玄亀
棗>五郎作黒無地袋藤種
同替茶器>直齋書付橋立松
茶杓>利休作無銘如心斎啐啄ノ箱
建水>古高取遠州公切形の内
蓋置>青竹引切
炭取>金森宗和箱書小瓢
炮烙>左入作赤
香箱>青貝一文字布袋加州候蔵帳内
煙草盆>一閑宗旦好折溜
煙草入>唐彫桃形椰子
火入>織部焼台付
菓子鉢>和蘭陀藍絵花鳥
菓子盆>宗旦書付利休桜盆随流箱
菓子>結び羊羹
干菓子>玉子素麺
茶>綾之森

○煎茶席(中裏広間八畳:平面図④?)

床>伊孚九山水幅 蒹葭堂箱書付
香炉>古雲鶴菊形
香盆>黒無地唐物四方
花生>青磁桶側平
   花 河骨 白蝶草
棚>花鳥庵好竹柱桐台子
水差>紫高麗
茶碗>木米作群仙之図
茶盆>桃形広島モール
茶托>錫水仙式
茶合>黒檀笏頭式
茶巾入>白蝋石
箸立>木米作三椒粉器
茶入>染付壺形
昆炉>木米作風窓風神
急須>木米作白高麗翔鳳
昆炉台>錫丸形
水差>秋草金象嵌
炭取>唐物白錆四方
菓子鉢>呉劦赤絵魁小丼
菓子盆>黄成作楊成極●(草冠に麦:蕎麦の合字)形
菓子>夏木立
干菓子>千代結び
煙草盆>松木地三ツ入
火入>阿蘭陀細手色絵
煙草入>籠地唐物
茶>寿星眉
旗>直入翁

○休息之間(中裏四畳半)

床>蕪村山水之幅
床柱九霊芝
帖朱南鎮花卉
巻半江花卉
同沈白山水
地袋上>漁船硯
花生>白玉扁壺式花瓶遊環
   花 赤姫百合 忍冬
万暦古赤絵筆架皿
青貝大筆
唐物箔柄中筆
絵高麗船水滴
丸形龍鳳祥呈唐墨
染付瓢形墨台
詩箋
文鎮 鉄丸形水龍象眼

○陳列席(三階之下座敷:平面図④の3階部分?)

応挙浪ノ屏風 一双
紫檀大卓
花瓶>●素●壷
   花 宮城野萩 宜男草 額草
翡翠玉皿盛物 黄苺 紅蕪 竹島百合根
碁 将棋盤

    (同二階:平面図④の2階部分?)
新書画大福十対

○酒飯席
床>一休禅師書 三幅対
無学添巻
香炉>仁清作獅子
平卓>唐物黒無地
書院>唐物中鉦
青貝軸盆

○懐石
向>鱸切身塩焼 蓼酢
汁>薄赤味噌練り胡麻 茄子 白瓜
煮物>鱧切落し 蛤 牛蒡笹掻き 椎茸 五分三つ葉 白豆腐雷仕立割胡椒
焼物>鮎山椒味噌饅頭焼
吸物>松露 梅干
八寸>鮑ノ塩煮 青唐辛子付焼
強肴>洗ヒ鱸 青紫蘇 山葵 根芋 平豆切合セ 芥子醤油
香ノ物>沢庵漬
膳椀向付小吸物椀等総じて四種類を以って交互之を組合せ使用す
飯後 桜の実 枇杷 摘ミ菓子 羽二重餅 煎茶

記事冒頭でご紹介した十八会規約には、「抹茶、煎茶は随意」と書かれていましたが、抹茶席、煎茶席を共に設け、他に陳列席として、所蔵の器物や書画を鑑賞に供したことがわかります。これは、第三回村山邸での十八会でも同様でした。

当日の具体的な流れはわかりませんが、四畳半の茶室はもちろん、六畳、八畳の部屋は16名の参加者には狭すぎるように思われますから、順次ご案内する形だったのでしょうか。

この十八会、中之島香雪美術館の展示解説によると、明治35年1月から明治36年11月の間に計17回が開催され、その後は日露戦争の政情不安のため打ち切られたとのこと(*)。結局一巡することなく幕を閉じたということになります。

十八会規約には、茶会記を記すことも定めていました。
他の回のお茶会は一体どのようなものだったのか。
関西の財界人が趣向を凝らし、毎度異なる空間、異なる道具立てで開催された十八会の茶会に興味が尽きません。

*)中之島香雪美術館開館記念展「珠玉の村山コレクション ~愛し、守り、伝えた~」Ⅲ 茶の道にみちびかれ 展示解説による。

■参考資料
『芝蘭遺芳』、津枝謹爾編輯、芝川又四郎、1944(非売品)
「芝川茶会記録」、管宗次氏所蔵資料

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