風光明媚で、阪急の開通により交通の便も良くなった甲東園は、戦前より土地の利用を促進するよう各方面から働きかけがあったといわれます。(*)周辺では相次いで住宅地開発が行われましたが、甲東園は開発されることがないまま、終戦を迎えました。
戦後、芝川家は甲東園をはじめ、西宮(鷲林寺(じゅうりんじ)・柏堂(かやんどう))に所有する土地の多くを売却します。きっかけは、京都の聖トマス学院 V.M.プリオット神父がこの土地を気に入り、青年の修養地として一帯の土地購入を希望したことでした。
証(千島土地所蔵資料K03_495)
昭和22年5月13日にV.M.プリオット神父と芝川又四郎(*2)の間で交わされた土地、建物の買収が成立したことを証明する証書。カトリック系の教育施設建設が目的と記されています。
ところがプリオット神父が米国に帰国することとなり、計画は天主公教大阪教区に委嘱されます。こうして昭和22年5月22日に天主公教大阪教区主管者・田口芳五郎神父と又四郎の間で土地の売買契約が交わされました。
土地売買に関する契約書(千島土地所蔵資料K02_158)
実測面積約22万坪の土地を約1300万円で買い受けるとあります。なお同日に交わされた覚書にて、代金は日米講和条約締結後に米ドルで支払うこととされました。
ところが、米国の承認がなかなか得られず、計画は資金難から暗礁に乗り上げます。鷲林寺のシトー会修道院などカトリック関連の一部施設の建設は行われましたが、当初構想された教育施設(幼稚園から小、中、専門部、大学部までのアメリカンカレッジ構想)の建設は一向に進みませんでした。
そんな中、敷地一部を市立甲東中学校(現・甲陵中学校)、市立山手高校(現・兵庫県立西宮高校)の移転用地としたい旨、西宮市教育委員会から要望があり、約2万坪が売却されることになります。
契約書(千島土地所蔵資料K03_495)
昭和24年8月15日、西宮市教育委員会と田口神父の間で交わされた土地売買の契約書
翌昭和25年には、甲陵中学校、西宮高校が相次いで甲東園に移転しました。
その後も活用の目途が立たない残りの土地は、一時農地買収計画に組み入れられます。地主達の訴願が認められ(昭和25年6月)、農地買収されることはありませんでしたが、これらの土地を巡っては様々な思惑が入り乱れ、「アメリカ学園問題」として西宮市議会を巻き込んでの騒ぎとなりました。
当時の新聞記事(千島土地所蔵資料K02_191)
一方で、戦後の住宅不足を解消するため、昭和24年9月に芝川家が設立した百又株式会社の下で、宅地開発(一団地住宅経営事業)の計画が進められます。
昭和25年1月には、一部土地の管理が天主公教から百又㈱に委託され、更に翌月には、農地に関係ない(農地買収の対象とならない)土地の処分が百又㈱に任されました。
昭和25年1月 土地管理委託書(千島土地所蔵資料K02_036_005)
昭和25年2月 土地処分委託書(千島土地所蔵資料K02_036_004)
そして8月には百又㈱が建設省に一団地経営特許を申請、11月に特許を取得し、いよいよ事業が動き始めます。
住宅経営計画書に添付された計画図(千島土地所蔵資料K02_036)
関西学院と甲陵中学校、西宮高校の間の敷地に「アメリカ学園」の記載があります。
昭和26年5月には、兵庫県と天主公教の間で往復書簡が交わされ、天主公教側から学園用地を一団地住宅経営事業計画に加えることに異議ない旨の回答を得ました。
学園用地約23,000坪は、兵庫県の施工による県営住宅建設用地として、昭和28年1月に天主公教から兵庫県に売却されました。昭和35年4月に作成された天主公教との土地売却精算書によると、天主公教の学園用地は兵庫県、県立西宮高校(*3)、そして百又㈱に売却されることで決着がついたことがわかります。(参考:千島土地所蔵資料K02_158)
*)参考:千島土地所蔵資料K02_052
*2)甲東園を拓いた芝川家5代目当主・芝川又右衛門の息子で、芝川家6代目当主。又右衛門は太平洋戦争開始前の昭和13年に甲東園で死去。当時、又四郎は神戸市御影郡家に自宅があったが、空襲で焼失し、終戦後は甲東園に住むようになった。
*3)県立西宮高校の校地拡張のため、昭和28年3月にも百又㈱が所有地の一部を売却した(参考:千島土地所蔵資料K02_158)
甲東園と芝川家1 土地入手の経緯
甲東園と芝川家2 果樹園の開設
甲東園と芝川家3 果樹園の風景
甲東園と芝川邸4 芝川又右衛門邸の建設
甲東園と芝川邸5 芝川又右衛門邸
甲東園と芝川邸6 阪急電鉄の開通
甲東園と芝川邸7 関西学院の移転
甲東園と芝川邸8 幻の銀星女学院と仁川コロニー
甲東園と芝川邸9 戦時下の甲東園
※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。