甲東園での大規模なカトリック系の教育施設建設は実現しませんでしたが、西宮市都市計画事業として「甲東園一団地住宅経営事業」の実施が検討されます。
対象地は甲東園駅の西側に広がる一帯で、その大半を所有する芝川家が設立した百又株式会社が事業にあたることになりました。
対象地位置図(千島土地所蔵資料K02_036)
この事業は、戦後の住宅不足解消のため、まとまった規模の住宅地開発を企図していた兵庫県(*1)や西宮市(*2)の計画にも一致し、全面的な協力を得て進められることになります。
昭和25年、百又㈱は西宮市都市計画事業甲東園一団地の住宅経営特許を申請しました。当時の都市計画法(旧法)には、都市計画事業は原則として行政庁が執行するもので、主務大臣が特別の必要があると認めた時に限り、行政庁以外の者の執行が許されると定められていたため(*3)、百又㈱が一団地の住宅経営事業を行うためには特許申請を行う必要があったのです。
特許申請(昭和25年8月:千島土地所蔵資料K02_156)
事業面積は50ha(*4)、予定戸数526戸で、各敷地面積は基本的に100坪以上とするとあります。事業は、予算2億6千万円、昭和29年度までの5年をかけて実施する計画でした。
経営地計画図(千島土地所蔵資料K02_036)
昭和25年11月29日に甲東園一団地住宅経営事業の特許が得られ、いよいよ事業にとりかかることになります。
建設大臣の特許(千島土地所蔵資料A00015_002)
特許が許可されたことを知らせる電報(千島土地所蔵資料K02_036)
「29ヒキヨカサレタケンセツセウ(29日許可された建設省)」
昭和25から26年度にかけては、土地の調査や測量、農地の用途変更などの下準備が行われ、昭和27年6月にいよいよ工事着工届が提出されました。
工事着工届(千島土地所蔵資料K02_037_013)
*
事業の進捗状況は、各年度の事業報告書で知ることができます。
工事は北側(仁川側)から順次実施されましたが、農地の用途変更や資金調達、天候不順などで進捗に遅れが生じ、当初事業完了予定だった昭和29年度までに完了した工事は全体の70%に留まったため、昭和30年3月に1度目の執行期間延長(3年の延長)が申請されます。
整地工事の進捗状況(千島土地所蔵資料K02_054)
昭和31年度の事業報告書添付資料。整地工事の進捗状況が年度別に色分けされており、どのように工事が進んだのかを知ることができます。
ところが、その後の天神山地域での工事において、他人地の買収や神社(門戸天神社、神呪厳島神社)の移転、宅地造成残土の取り扱いに手間取ります。延長の3年間での工事進捗はわずか3%で、昭和33年3月には第2回の執行期間延長が申請されました。
延長後、神社の移転交渉は打ち切られることとなり、残土も一部を地域外に搬出する処理方針が定まりましたが、神社境内の整理方針や残土搬出計画がなかなかまとまらないうえ、土地買収の遅れもあり、工事進捗はわずか2%。昭和36年10月に3回目の執行期間延長が申請(11月にも追加申請)されます。
昭和36年度には厳島神社周辺の造成工事がようやく完了し、その後、ガス、水道等インフラ敷設を進め、逐次宅地分譲が行われました。昭和37年度には3,300㎡の中谷公園もほぼ完成し、昭和38年度には緑地、公園の管理が西宮市に引き継がれました。(K02_046_002)
こうして昭和39年6月、ようやく事業が完了し、竣工届が提出されます。
竣工届と竣工図(千島土地所蔵資料K02_058_003)
百又㈱の総施工面積は36ha、共同住宅21棟、一般住宅400戸が建設され、執行済みの事業費(96%)は約3億9千万円に上りました。
*1)「県において住宅建設の議があり、一団地住宅経営の指示ありたるをもって此の地域一帯を管理する百又㈱に特許されることを条件として(中略)15万坪を住宅化することに対し協力することに同意した」(「一団地住宅経営に至る迄の土地の現況及経過」:千島土地所蔵資料K02_052)
*2)「(甲東園一団地の住宅経営事業について)その規模といい、その計画といい、全く本市(西宮市)の考案に合致するものであり、本市は之に対して全幅の賛意を表して止まない。(中略)市の財政並びに事業運営上より考慮して直接本市が事業には当たらないが、側面的にはあらゆる援助を惜しまない(以下略)」(昭和25年8月26日「西計第102-1 西宮都市計画事業一団地の住宅経営特許申請について」:千島土地所蔵資料K02_156)
*3)都市計画法(旧法)第5条:都市計画事業は勅令の定むる所に依り行政庁之を執行す 主務大臣特別の必要ありと認むるときは勅令の定る所に依り行政庁に非さる者をして其の出願に依り都市計画の一部を執行せしむることを得
*4)開発前の50ha(約15万坪)の内訳は、宅地が15,000坪(地域内所在38戸)、山林が52,000坪(うち18,000坪は松樹が密集した緑地帯、残り34,000坪は立木が戦時中海軍用材として伐採され現在は原野)農地が59,000坪(カトリック系教育施設用地として売却するも計画が中止され、現在は休閑地利用で耕作中)学校敷地20,000坪(甲陵中学校、県立西宮高校)、神社敷地4,000坪とある。(千島土地所蔵資料K02_052)
甲東園と芝川家1 土地入手の経緯
甲東園と芝川家2 果樹園の開設
甲東園と芝川家3 果樹園の風景
甲東園と芝川邸4 芝川又右衛門邸の建設
甲東園と芝川邸5 芝川又右衛門邸
甲東園と芝川邸6 阪急電鉄の開通
甲東園と芝川邸7 関西学院の移転
甲東園と芝川邸8 幻の銀星女学院と仁川コロニー
甲東園と芝川邸9 戦時下の甲東園
甲東園と芝川邸10 戦後の甲東園
※掲載している文章、画像の無断転載を禁止いたします。文章や画像の使用を希望される場合は、必ず弊社までご連絡下さい。また、記事を引用される場合は、出典を明記(リンク等)していただきます様、お願い申し上げます。