甲東園果樹園(千島土地株式会社所蔵資料P77_003_112)
これは昭和初期、芝蘭社家政学園の職員で甲東園を訪れた際の写真と思われます。
最前列の眼鏡の男性が芝蘭社家政学園を設立した芝川又四郎です。甲東園を開設した二代目又右衛門の息子ですね。
葡萄棚の下でランチ(千島土地株式会社所蔵資料P77_003_113)
続いてこちらは何かのロケ撮影かと思われます。
(千島土地株式会社所蔵資料P49_005)
(千島土地株式会社所蔵資料P49_006)
モデルの女性は宝塚歌劇団の団員さんとも伝えられています。実は甲東園、「宝塚グラフ」でご紹介いただいたこともあるんですよ!
昭和10年前後のものだと思うのですが、「収穫の秋(みのりのあき)」と題し、寶路みのる、牧川文美子、水尾みさを、御室雪子、夕映あかね、淀七瀬の7人の団員さんが果樹園のお仕事を体験するというもの。葡萄の収穫や梨の箱詰めという割と手軽な(?)作業だけでなく、草刈りや害虫駆除、殺虫剤散布という本格的な作業まで体験するという、なかなか本気の記事です。
果樹園作業風景(千島土地株式会社所蔵資料P40_016)
献上果物(千島土地株式会社所蔵資料P56_004)
こちらは昭和11年に神戸港で行われた海軍特別観艦式の際に献上された葡萄です。
果樹園で採れた果物は一部販売もされていたようですが、進物としてお知り合いに差し上げることも多かったのだとか。
果樹園を訪れた子供たちの様子も残されています。
(千島土地株式会社所蔵資料P40_084)
(千島土地株式会社所蔵資料P40_111)
(千島土地株式会社所蔵資料P56_017)
絵を描いているのかな?
(千島土地株式会社所蔵資料P56_022)
昭和6年には、甲東園果樹園に隣接して帝塚山学院の郊外学舎「仁川コロニー」が開設されました。
芝川又四郎は校舎の取得を援助するなど開設にあたり多大な貢献をしただけでなく、コロニーで過ごす子供たちが甲東園の果樹園や農園でも活動できるよう取り計らいました。この子供たちのお写真は、学院の生徒さん達なのかも知れません。
記事の最後は養蜂の様子です。
(千島土地株式会社所蔵資料P40_145)
(千島土地株式会社所蔵資料P40_147)
甲東園では、明治38年から養蜂に取り組みましたが、蜂が逃走し(!)失敗に終わったのだそう。
もし成功していたら、「甲東園はちみつ」が名物になっていたかも知れませんね。
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