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所在地
大阪市中央区伏見町3-3-3
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構造
鉄筋コンクリート造地上4階地下1階
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延床面積
約1,626m²
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竣工
昭和2年7月1日
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設計
澁谷五郎(基本計画・構造設計)
本間乙彦(意匠設計) -
施工
竹中工務店
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工費
25万円(当時)
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関連サイト
芝川ビル https://shibakawa-bld.net/
History and Current Use
芝川ビルの歴史と活用方法
芝川ビルは、大阪市中央区伏見町に位置する歴史的建造物で、1927年に竣工しました。南米のマヤ・インカ文明を想起させる独特の装飾を施した鉄筋コンクリート造で、設計は渋谷五郎と本間乙彦、施工は竹中工務店が手がけました。芝川ビルの建設は、芝川又四郎が耐火・耐震性に優れた建物を求めたことから始まりました。
戦前から戦後までの利用
芝川ビルは、当初、芝川家の事業用事務所として建設されましたが、後に「芝蘭社家政学園」の校舎としても使用されました。教育に高い関心を寄せていた芝川又四郎が設立した女子教育のための学校で、複数の科目を1つの場所で学ぶことができる授業スタイルは、現在の女子大学のはしりともいわれています。1929年から1943年までに多くの女性がここで教育を受けました。1943年の学園閉校後は、一部が大阪府に賃貸され、消防特別隊庁舎としても利用されました。太平洋戦争の激化により、1943年に閉校されるまでの間に、女学校を卒業した多くの女性がここで教育を受けました。
戦後から高度経済成長期
戦後、空襲を免れた芝川ビルは事務所中心のテナントビルとして活用されました。建物の稼働率を上げることに重点が置かれ、賃貸面積を増やすための屋上テラスへの増築をはじめ、建物の趣に関係なく、利便性を優先した更新が繰り返されていました。
2005年の大大阪サロン
芝川ビルに転機が訪れたのは、2005年9月に開催された「大大阪サロン2005 in 芝川ビル」でした。このイベントで、芝川ビル周辺の近代建築所有者によるシンポジウムが行われ、芝川能一社長(当時)は他の建物所有者のビルに対する愛情や思い入れに触れ、その価値を再認識しました。これが、建物の魅力を生かした保存・活用に取り組むきっかけとなりました。
Rebirth and the Present
再生と現在の活用
芝川ビルの再生プロジェクトは、戦後に無秩序に手が加えられた部分を可能な限り竣工当時の姿に近づけることから始まりました。特に1960年に増築された4階部分の撤去・屋上テラスの復元は大きな工事となりました。この再生プロジェクトの結果、4階は多目的のレンタルスペース「芝川ビル モダンテラス」として利用されるようになり、会議や展示会、結婚式など様々な用途に利用されています。
店舗誘致とテナントビルとしての成長
より多くの方が建物を訪れ、その魅力に触れてもらうことが、歴史的建造物への関心を高め、その保存・活用への理解につながると考え、従来の事務所中心のテナントから店舗テナントへの転換をはかりました。建物と店舗が相乗効果でお互いの魅力を高められるようなテナント誘致を目指しています。
現在の芝川ビル
現在、芝川ビルは国の登録有形文化財になり、多くの人々にその歴史と魅力を伝え続けています。また、様々なイベントが開催される大阪を代表する近代建築のひとつとして知られるようになりました。
芝川ビルの歴史は、単なる建物としての存在を超え、多くの人々の記憶と共に生き続けています。私たちは、これからもその価値を大切にし、芝川ビルが多くの人々から愛される建物であり続けられるよう、取り組んでいきたいと考えています。
Access
住所| 大阪市中央区伏見町3-3-3